今日はAIに関するニュースが立て続けに流れた。

米国は先端AIを国家レベルで管理する体制を検討し、日本はAI・半導体など17分野に2040年まで370兆円を超える官民投資を行う方針を示した。

さらに、AIを共著者とする論文を扱う科学誌の創刊構想、AIが飲食店へ自動で予約電話をかけるサービスのトラブルなど、どれも一見すると別々のニュースに見える。

しかし、本質は同じだ。

AIをどう作るかではなく、AIをどう社会で使うか。

時代はそこへ移り始めている。

AIが提案し、人間が判断する。AIが文章を書き、人間が責任を持つ。AIが電話をかけ、人間がその結果を受ける。

つまり、AIの性能だけでは社会は回らない。

そこには必ず、誰が承認したのか、誰が責任を持つのか、どのような判断過程だったのかという「責任構造」が必要になる。

AIが飲食店へ自動で予約電話をかけ、トラブルが起きた。誰が責任を取るのか。AIは取れない。だから構造が必要なのだ。

私は以前から「AI責任構造」という考え方を提唱してきた。最近のニュースを見ていると、世界は少しずつ同じ問いを投げかけ始めているように感じる。

だから今重要なのは、「AIを作る会社」になることではない。AIが社会で安心して使われるための仕組みを設計することだ。

Re:Mind Systemsは、その思想を示す。ArkM1 Systemsは、その思想を実装する。NurseNoteAIは、その最初の実証モデルである。

まだ道半ばだ。

しかし今日のニュースを見て、一つ確信した。

AIの競争は、これから性能だけでは決まらない。「人間とAIがどう共存するか」を設計できる者が、新しい時代の価値を生み出す。